2011年12月01日

西安法門寺を観光

    西安にはたくさん有名な中国旅行地があり、今日は法門寺と乾陵を楽しむ。ここの寺はほかの寺と違う、乾陵は格別です。
    古都西安の史跡は広く郊外に散在しています。西安の史跡といえば、いちばんに始皇帝陵と兵馬俑坑があげられますが、残念ながら見学のコースに入っていませんでした。私たちが訪れたのは西郊外にある法門寺、乾陵でした。
    法門寺は西安の西方、138キロ離れたところにある。歴史は古く、後漢時代の建立と伝えられ、はじめ阿育王寺といわれた。唐代には仏舎利(釈迦の真骨)を収める寺として有名で、歴代皇帝による舎利供養が数度行われた。
    1981年に法門寺の13層の塔が大雨により半壊したため、塔再建に伴う基部の発掘調査をしたところ、唐代の地下宮殿が発見された。その中から、釈迦の指骨舎利四本と、皇帝が舎利を宮廷に奉迎して供養した際の金銀器など多数の宝物が発見されたことで一躍有名になった。
    法門寺塔は8稜13層、高さ47mある。もともと、清の時代に大地震があって亀裂が生じ、塔身は傾斜していた。そこへ、1981の年の夏、雨が降りつづき、塔身の傾斜がひどくなって、煉瓦が次々に崩れたのである。残った塔の半身が屹立するle471fkさまは、いかにもけなげな姿にみえて同情をあつめ再建されることになった。その修築中に、塔の真下から地下宮殿が発見されたのである。地下宮殿は、地下への階段部分や前中後室などからなり、総面積約32平方メートル。
    地下宮殿の中で発見された四本の指骨舎利のうち、一本は真骨と鑑定された。世間でいう仏舎利は釈迦が火葬されたあとの骨であるのと異なり、生きた肉身からのもので、おそらく法門寺以外にはめったにみない、真身指骨の舎利なのである。従って真身宝塔と呼ばれるのである。
    乾陵は西安の西98キロにある唐の高宗と則天武后の合葬陵。中国史上、夫婦ともに皇帝で、しかも合葬された陵墓は乾陵しかありません。則天武后といえば、高宗の没後、息子の皇帝を廃して自ら皇帝となり、反逆者は徹底的に弾圧したことで知られています。唐代の18陵のなかで、唯一つ盗掘をまぬがれた陵でもあります。
    中国歴代皇帝の中で唯一の女帝として君臨した則天武后、唐最盛期に約50年間もの間、強大な権力をほしいままにした武后の陵墓であるから、発掘すれば、質量とも秦の始皇帝陵を凌ぐことはまちがいないともいわれています。
    この中国旅行風景を見ている当時に、いろいろ中国の歴史を勉強したどろう。                     



Posted by huabiaodba at 11:06│Comments(0)
 
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